葛飾区の地名由来

亀有

元々は「亀梨」と呼ばれていた。しかし「梨」の字が「無し」に似ているという事で縁起が悪いとされ、現在の「亀有」になったといわれています。亀の字は地形が亀の甲羅の形をしている所から名づけられたそうです。

 

青戸

元は「青津」「大戸」などと呼ばれていたが、それらが混ざり「青戸」になった説、青砥藤綱という人物が住んでいた事により「青砥」になった説、などが一般的に言われています。

 

立石

色々な説があるようですが、一般的には熊野神社の神体である石剣であるとされています。この石の呼名の立石から名づけられたそうです。現在でも「立石稲荷神社」の境内に見る事が出来ます。

 

柴又

正倉院にある「下総国葛飾郡大嶋郷戸籍」(721年)に記されている「嶋俣里」(しままたのり)という地名が最古の記録。その後、小田原衆所領役帳において初めて(1559年)「柴俣」(しばまた)が登場した。近年になり「柴俣」→「柴又」になった説が最も有力です。

 

奥戸

中川を利用した水運が盛んに行われ発達したところから「奥津」と名前が付いていた。それが変化して「奥戸」となった説が有力。同じ戸(津)がつく青戸とも何らかの関係があるのかもしれませんね。

 

お花茶屋

徳川吉宗が鷹狩の途中で腹痛を起こし、茶屋で働いている娘(お花)に看護されたところから地名が付いたとされている。

 

鎌倉

有力説は2つあるようです。1つは相模国鎌倉郡から開拓者(源左衛門)が来て、村を作った話。もう1つは相模国鎌倉郡にある鎌倉八幡宮から勧請して八幡宮をこの地に置いたとされる話。 あの鎌倉の鶴岡八幡宮とも関係があるのかもしれませんね。